創業者、渋沢栄一 (渋沢史料館所蔵)
はじまりは、
日本経済を自立させるため
先進国に追いつけとばかりに洋風化が一気に進む明治初期。
政府によって鹿鳴館が建てられると、一般の人々にも文明開化の象徴として帽子が広まっていった。
しかし当時の帽子といえば、イギリスやフランスから輸入された高価な舶来物ばかり。国内で帽子を製造すれば、過度な輸入が抑えられ、日本の工業化と経済的自立が図れるはず。そう考えた渋沢栄一らが出資をして1889年「日本製帽会社」は設立された。
明治25年 当社の前身 日本製帽会社
東京・小石川村に工場を建設し、海外から技術者を呼びよせ帽子の製造が始まった。ところが工場が出火に見舞われるなど、懸命な努力にかかわらず業績は伸び悩んだ。渋沢は再建の先頭に立ち、「日本製帽会社」を解散させた。
そして1892年12月12 日「東京帽子株式会社」として新会社を設立し、自身が取締役会長に就任した。日清戦争や日露戦争など苦難はあったものの、帽子問屋を買収し工場拡張に踏み切り、そのわずか2年後には創業以来の売り上げを記録した。